50代が自己啓発セミナーに行ってはいけない最大の理由!

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自己啓発セミナーの正体を暴露!

アナタは 成功するコトができないようにされています。

ここ数年、『楽して稼ごう』っていう話が本当に多い!
日本の経済がお寒いコトの証明かと思われますが、
その正体は、もっとお寒いことに・・・

もっと自由になって、好きなコトをしましょう・・・   
 

でも、そのためには「お金」が必要だから
なんとか、稼がなくちゃいけない。
 

そうなんだけど、「稼ぐ」ってなんだか苦痛だよね。
「労働」のにおいがプンプンして・・・
今まで、さんざん働いてきたっつうの
 

だからもう、労働はゆるしてよ。

いつまで働けばいいんだよ。

働けなくなっても、生きるために働き続けろ! っていうの?
 

それってどういうコト?
( ´・ω・`)?
 

奴隷かっ!? 
 

 

ローマ時代の奴隷

ローマ帝国は知っていますよね。

皇帝アウグストゥスの時代(紀元前27-紀元14年)には100万人が居住する世界最大の都市を誇り、

「すべての道はローマに通ず」と言われるほどの流通を極め、
欧州のあらゆる地域の文化に影響を与えた国です。
 

そのローマ時代の身分制度をザックリと分けると
貴族、市民、奴隷 に分けられるといえます。
 

そこで、ローマ帝国の身分と
現代社会でいうところの(会社にやとわれて働く)サラリーマンと同じポジションはどれかなぁ?と 考えると
 

そりゃ「市民」でしょ!
というコトになりますよね。    
 

そうすると、
ローマ帝国の一番下の身分である奴隷とは
どんなカンジだったのかが 気になったりします・・・
(?・∀・)
 

まず、ローマ帝国の場合、「奴隷」の始まりは戦争捕虜です。
捕虜となった人たちに 市民の代わり労働をさせて、
帝国の発展に寄与させてきたんですね。

たくさんの奴隷が労働に従事してきたことは想像に難くありませんが
その奴隷が全人口に占める割合は
90%に達していたそうです。
 

そうして奴隷というと、
私たちは鎖につながれて働かされているようなイメージがありますが
もちろん、
ローマ時代の奴隷も過酷な労働を強いられていたコトではあるのですが
 

労働力としては、非常に貴重な存在だったので
ある程度の自由は許されていたんですね。

たとえば、結婚がそうですし・・・
そうなれば 子供もできますから、
それも許されていました。
また、都市部の奴隷は金銭や物などの個人財産を持つコトも許されていたそうです。
 

どうでしょう?

ローマ帝国の奴隷の様子をザックリ言いましたが
働いて、結婚して、子供をつくる、家庭を守る。
 

なんだか サラリーマンと違いがないと思いませんか?
会社(組織)にやとわれて、労働(役務)の対価に衣食住を得て
そこそこの楽しみと恋愛と家庭をつくる・・・
 

実のところ、日本のそうした多くの人たちとローマ帝国の奴隷に
対して差がないことが分かります。
 

じゃぁ、アナタが最初に自分と同じ地位だと思った
ローマ帝国の市民というのは何なのかというと
つまりは、経営者レベルの人たちだといえます。
 

もちろん、市民の中にも優劣はありますが
彼らは、最低限1人の奴隷は所有しようとします。
 

なぜなら、奴隷は市民にとって財産であり、
もし、市民が土地・家屋を失うような事態に陥っても
奴隷さえいれば、
その奴隷を労働力として貸し出す事で糧を得て、
自分自身は労働しなくても生活できるようにしていたからです。
 

財産があるコトで楽ができていたんですね。
 

ですがもちろん、市民も奴隷を得るために
高額な金額を支払っているのですよ。
 

一説には、1家4人の1年間の生活費と同程度の価値があったといわれいます。
 

つまり、「彼ら市民は、それくらいの投資は、
自分たちの将来のために絶対に必要と考えていた」というコトですよね。
 

自己啓発は、「働くのはバカ」という考え

さてさて、ローマの市民は  
自分が働かないで生活するコトを当然としていたワケですが
 

それはつまり、働くと自分の好きなコトができない・・・
好きなコトができないのだから、幸せじゃない!
 

労働は幸せを損ねる・・・そんな感じに受け取れますよね。
 

 

実は、海外からくる自己啓発においては、そのほとんどが
 

“労働とは幸福度を下げるものだから、なるべくその時間を減らして、それ以外の楽しい時間を増やすことで幸福度を上げよう”
 

という考えのもとに成り立っているコトをご存知でしたか?
(;’Д’)
 

この考えというのは、
20ほど前に「投資家を作るためのプロパガンダ」
として日本に上陸してきました。
 

ここで確認しておきますが
本来「投資」というのは、十分なお金を持っているコトが前提であり
 

お金がない人が 生活苦を抜け出すためにやるべきではない。
というのは、心得ていますよね?
 

それで、先ほどのプロパガンダですが
それが言っているコトというのが
 

「働くのはバカがやることだから
あなたは投資家になって そこから抜け出そう!
(バカなやつに働かそう!)」
 

みたいなコトであって、

そうしたら、ごく限られた一部の「奇跡的に人生大逆転した人」がクローズアップされました。
(※そして、ほとんど沢山の「自滅した人たち」は無視されました。)
 

誰だって、そんなドラマを見せられたら目の色が変わってしまいますよね。
 

そうした幻想を見せられて、
「働くのは愚かなコト=楽して稼ぐ」という部分だけが独り歩きし、
トレンドになってしまったというコトなのです。
 

 

 

刺激的な人生の末路は?

さらに、海外のスピリチュアル(それを日本風にアレンジしたものでも)や自己啓発というのは、
言ってみれば「刺激病」を作っているようなものです。
 

どういうコトかというと・・・
 

例えば、あるセミナー会場にアナタや他の参加者が集まり、
そこで司会者や主催者が夢や希望、慈愛に満ちたトークをし、
みんなを崇高な気持ちにさせ、一体感を作り出します。
 

そして最終的に、光や音響効果を使って「イェーイ!」 などと言い放ち
会場にいるアナタや参加者の高揚した気持ちや、やる気が一気に爆発!
会場にいる人たちの脳を麻痺させます。
 

もう その場では、
自分の中に エネルギーが満ち溢れているような気分になります。
 

そしてセミナーが終わり、明日への希望に満ちて帰途に着くアナタ・・・
 

しかし、アナタも他の参加者も、セミナーに行った人のほとんどが
そのあと数日は、グッタリしてしまいます。
 

「楽しかった」という一筋の記憶を脳に刻んで・・・
 

 

そうしてまた、自分の理想と違う生活に疲れはじめたころ
「あのセミナーに行きたい」
「楽しくて、エキサイティングな時間を過ごしたい(できることならずぅーと)」
 

そうして、繰り返しセミナーに足を運ぶのです。
 

 

おわかりでしょうか?
 

そうしたセミナーも、根底にあるのは

「働くのはバカらしい」

というコトなんです。
 

実直にコトを成した上での自己実現をするという現実から目をそらし、
「刺激」をひたすら求めて、自分が成長したような気分になる。
 

その刺激になれたら、さらに大きな刺激を求めます。
 

 

こんなコトで、人生が好転するワケがありませんよね。
 

 

もし、アナタがスピリチュアル系のセミナーに行こうと考えているのなら
引き止めはしませんが
ここで言った、それらの成り立ちというモノを考えた上で
楽しんでこられるコトを望みます。
 

デワデワ
( ^ω^ )ノ

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